このところ、年の瀬は京都で過ごし、新年は金沢で迎えている。夫婦二人きりの所帯。子供たちはすでに独立しており、遠方に住んでいる者もいる。皆を招いて新年会というわけにもいかない。
京都と金沢にはそれぞれ馴染みのホテルがある。コンシェルジュをはじめ、スタッフも気持ちのいい人ばかりだ。北陸新幹線の開通以降は海外からの宿泊客も目立ち始めた。きめ細やかなサービスが国境を越えて支持されているのだろう。
金沢のホテルでは深夜0時が近づくと、歌手がステージに上がって、カウントダウンパーティーの幕が開く。朝にはおせち料理が供される。
夫婦二人のために正月用の膳を用意するにはなかなか骨が折れる。意外に思われるかもしれないが、コストの面から言っても、ホテルでの年越しは理にかなっているのだ。
現地に入ってみて分かったことがある。政府の肝煎りで展開されている「Go To トラベル」事業の威力。その凄まじさだ。
幸いに大晦日の宿泊は「Go To」の対象外。そこまで大量の人が押し寄せる事態は免れた。だが、その直前は館内が人でごった返していた。私たちも27日あたりから金沢に飛んでいたから、そのあおりをもろに受けた口だ。
私は引退するまでサラリーマン生活を送った。あくせく稼いで、70代半ばに近づこうとする今、温泉に入りながら、ゆったりと年を越せている。現役時代の自分から見れば、贅沢に違いない(実際には大家族ではないから、安上がりではあるのだが)。
館内の高層階に設えられた会員制ラウンジ。妻と二人、席について周囲を見回す。同年輩とおほしき男女が同じようなメニューに箸をつけていた。
ところが、新しくオープンした外資系の高級ホテルではいささか趣が違っていた。会員制のラウンジとはいっても、私たちのような夫婦連れはそう多くない。IT長者風の若い紳士や外国人の姿が目に留まった。
ふと思い出したのが、百貨店業界の様変わりだ。どの店舗もニューリッチに対応する必要に迫られているという。
百貨店はこれまで従来の資産家、富裕層向けに商品の構成やサービスを用意してきた。いわば古い商売の仕方に馴染みがあったわけだ。
百貨店業界がここにきて活況を呈している。どこも爆発的に業績を伸ばしているらしい。後押しをしているのがニューリッチと呼ばれる顧客たちだ。最近急に豊かになった人たち。旧来の富裕層とは消費性向に違いが見られる。ある店舗の美術品売り場でこんな光景を目にした。最近売り出している若手の画家の絵がかかっていた。もっとも、私にしてみれば、マンガとしか思えない。それでも1億円以上の札がついている。百貨店側は「投資対象になる」とすすめているのだろうか。ポンポン売れていく。
絵画だけではない。タワーマンションの100平米もの部屋を簡単に購入。ベントレーをはじめ、超高級車をあっさりと乗り回す。偏見かもしれないが、私はニューリッチの方々の暮らし向きをそう見ている。
彼らの旺盛な購買欲に支えられ、百貨店は2022年の年末商戦でコロナ前を上回る収益を得た。そんなニューリッチ層の一部と新興ホテルのラウンジでたまたま邂逅したわけだ。
1949年、この世に生を受けた私は30代後半から40代始めにかけてバブル景気を通過した。バブルの経験は日本人に今も負の影響を与えている。これは私の実感だ。
バブル期に日本を席巻したのは金が金を生む経済。「投資」という行為だった。雑駁に言えば、自分以外の誰かに働いてもらう。中でも生産性の高い企業に金を注ぎ込むことで利益を手にする。
自らも働きながら、投資もする。これならわかる。だが、他人が働くことをあてにする国民だらけになったら、その国の行末は危うい。いったい誰が額に汗して労働に勤しむのか。
投資とは他人のふんどしで相撲を取るのに似ている。力士がいなくなったら、本場所の開催はおぼつかない。
岸田文雄内閣は「資産倍増」を金看板に掲げ、「貯蓄から投資へ」と叫んでいる。だが、この掛け声で喜んでいるのは証券会社だけではないか。
眠っている金を市場で生かすのはいい。だが、投資だけでは日本の産業基盤を強めることはできない。実需は生まれてこない。
「貯蓄から投資へ」という旗振りは必ずしも当たっていないのではないだろうか。倫理的に問題があると言ってもいい。私は疑問に思っている。
国を挙げて戦うのならいい。だが、金が金を生む経済を首相自らが推奨するのはどうだろう。岸田氏はいつから証券会社の宣伝マンになったのか。
「それは年寄りのやっかみだ。老後はのんびりしようとしていたのに、若い者が稼いでいる。それが面白くないんだろう」
そんな声もあるかもしれない。繰り返すが、これはバブルを間近に見てきた者としての実感。それ以上でも以下でもない。
収支を示すグラフ上の数値をいじって富を手にする。そんな人たちがヒーロー扱いされる社会であってはいけない。何もせず、現状維持でいいと言っているわけではない。根本的に日本が健全な産業基盤を取り戻す必要は間違いなくある。今までにない施策をドーンと打ち出さなければならない。それは確かだ。
前回のコラムで「道徳は常に変化する」という格言を引いた。日本の現状はどうか。根本原理を確認すらせず、「宗主国」に何でも頼り切っている。日本人の精神をもって世界と渡り合う。そのためにどうあるべきか。
日本の姿はこれから英国に近づいていく。特に人口に関しては現実が先行しているようだ。
私が生まれた1949年。新生児の数は270万人だった。現在は80万人。3分の1以下に縮小してしまった。
岸田内閣は「異次元の少子化対策」をぶち上げた。人口増のためにバラマキを行う。確かにそれも大事だ。
だが、もっと重要な課題がある。国が滅びないためにどうすればいいか。
年間の出生数が3分の1にまで落ち込んでもやっていける体制とはどのようなものだろう。こうした議論を緒につけると、必ず「削る」話が持ち上がってくる。何もかも削っていけば、やがてはゼロになるだけだ。
あらゆる生物は全て生存競争を戦っている。森の変化を見ていても、それは明らかだ。他を淘汰して、次の種が勃興してくる。最終的に生き残るのはより多く太陽の恵みを得られた者たちだ。
日本の行末も生物から学んではどうか。国際社会で非難されるようなことは別にして、自国で変え得るルールは臆せず変えていく。こうした大胆さは英国に見習ったほうがいい。
ナポレオン戦争において英国は海軍力で勝利を占め、ウィーン会議でのウィーン議定書ではケープ植民地やスリランカなどの海外領土を獲得する成果を得た。
産業革命の進行と相まって、19世紀後半の大英帝国の繁栄を実現させることになる。ナポレオン戦争は仏独などヨーロッパ本土を荒廃させた。だが、英国は直接の被害を受けていない。大英帝国として次の覇権国家となっていく。
ナポレオンはなぜ英国に敗れたのか。私なりの読みがある。ナポレオンは健全財政論者で知られる。ナポレオン戦争の戦費も公債に頼らず、増税で賄った。「常識人」である。
だが、事は国家が存続するかどうかの正念場。英国はその点を理解していた。財政規律などお構いなしに紙幣を刷りまくった。財政への感覚の差が明暗を分けたのだ。
日本が生き残るためには何をすればいいのか。直面しているのは食料不足だろう。その前に人口減少の問題がある。日本の危機は国を成り立たせる基礎的な条件にまつわるものだ。
それらに対処するには精神や心理の置き所から変えていく必要がある。そこで思い出したいのが「リーマン幾何学」だ。
本来の幾何学において平行線は交わらない。これは公理である。
だが、リーマン幾何学では平行線が交わる。そのことを前提とした幾何学の体系はそれはそれとして美しい。完璧に構築されている。
リーマン幾何学は決して絵空事ではない。重力で場が歪む。相対性理論はそれを前提としている。リーマン幾何学はそれと見事に合致しているのだ。
誰もが知っているように、相対性理論は私たちの生活に生かされている。カーナビを通じて自動車運転には欠かせないGPSも相対性理論に基づく技術の一つだ。
現在、私たちは複雑系そのものと言っていい社会で生きている。場の歪みは至るところで生じている。国家が存続するかどうかの瀬戸際にある以上、国内でできることは何でもすべきではないのか。
「貯蓄から投資へ」の移行を考えるとき、「タンス預金」で金を貯め込んでいるのが主に高齢者層であるのは明らかだ。それを吐き出させるのであれば、資産は株式で持たなければならなくするなどの政策で誘導すればいい。
これからの日本を背負って立つ若い層の人生を金が金を生む文化に染めてはならない。産業基盤活性化に向けて汗を流す方向へと導いていく必要がある。
旧来の常識にあぐらをかいて自縄自縛の制限をかけている場合ではない。
出生数が270万人から80万人に下落する現実に私たちは直面している。だが、それは前からわかっていたことだ。
いつまで「平行線は交わらない」と決め込んだ空間の中で生き続けるつもりなのか。重力で場は歪んでいる。立っている土台そのものが違ってきているのだ。
日本は外圧によって何度か大きな変化を経験してきた。そのたびにひどい目にも遭っている。
別に共産主義革命がいいとは言わないが、私たちは自分の手で社会構造を大胆に変革し得る。
英国は変化に対して鷹揚だ。ブレグジットも驚きだった。
これも前回指摘したことだが、英国はしばしばライオンに例えられてきた。いざとなれば変化を厭わないところも、どこか百獣の王を思わせる。日本にもライオンの野蛮さが求められているのかもしれない。
防衛費増額に関して「原子力潜水艦を手に入れる」といった議論はいつの間にか一切聞かれなくなった。はっきり言ってしまえば、安全保障分野で一番安上がりな選択肢を取るのは悪手ではない。中古の原潜をチャーターして、浮いた分を他の分野に回す。国内を見渡せば、ごく小さな地方自治体で子供を安心して育てられる制度を拡充させているところはいくつかある。地域にそんな知恵が出せて、なぜ国政では無理なのか。
日本の現状を考えれば、これまで禁忌とされてきた施策にも踏み込む必要がある。具体的な例を挙げれば、核の活用だ。これまで墨守してきた「非核三原則」さえどこかで打ち捨てるときが来るかもしれない。こうした君子豹変をかつては「コペルニクス的転換」と呼んだ。今ならさしずめ「リーマン的転換」とでも表現したいところだ。
核兵器の研究開発について国民が正確なデータを元に話し合えるか。現状では難しいと言わざるを得ない。
この国を「属国」の地位に押し留めておこう。そんな有形無形の圧力が随所に見て取れる。医療や食料、エネルギー、防衛などの分野で自立できないよう仕向けるカラクリは至るところに潜んでいる。
たった今、少子化対策を本格化させたとしても、日本の人口は向こう30年間は増加に転じない。30年後に増えていく方向に舵を切るとして、何をすべきか。ここでも英国のありようは参考になる。
島国で歴史があり、立憲君主制を敷いている。日英両国には重なる部分も多いが、決定的に異なる点もある。最たる例が諜報である。少なくとも現在の日本は秘密情報の収集や情報工作においてかつての同盟国の足元にも及ばない水準にある。
もともと日本が諜報に弱かったわけではない。日露戦争の時代には駐ロシア公使館で明石元二郎が活動した。主な任務はロシアの支配下にある国々の反ロシア運動の支援。ロシア国内においても反体制勢力と結託し、内側から政府を揺さぶろうと画策した。
さらに遡れば、戦国時代は謀略全盛の時代だ。各国がスパイの網を張り巡らせていた。生き残りのためだ。
そうした野蛮なエネルギーを日本人はもう一度呼び覚まさなければならない。国際社会は常に戦国時代。昨年は特にその様相が強まった。第三次世界大戦はすでに始まっている。ドンパチを伴わない新しい形の戦争だ。
独立国として平和を享受できるかどうかの分岐点に私たちは差し掛かっている。発想の転換一つで活路が開けるとすれば、希望が一気に膨らんでは来ないだろうか。
新年にふさわしい希望だ。根本からすべてを見直す。幾何学のように考え方一つでどうにでもなる。
「あらゆる選択肢は自分の手のなかにある」
米国のトランプ前大統領がよく口にしていた一節だ。
群雄割拠の戦国時代。ポルトガルやスペインは日本を属国にすることを望んでいた。だが、いざ黄金の国に来てみれば、計算外の事態に直面する。戦国武将が強すぎたのだ。結果として私たちの祖先は属国化のくびきを免れた。
幕末にも植民地化の恐れはあった。下手をすると、現在のアフリカや中東諸国のように直線で国境を引かれ、列強に分割されていたかもしれない。
その後も歴史の間でいろいろなことを受け入れてきた結果、今、この国では少数の人が経済的な繁栄を享受している。国家としては滅亡に向かって進んでいると言っていい。
日本政府が最も頼りにしている国は「日本を属国化しておこう」という意図を明確に持っている。では、どうすればいいのか。
国際社会の常識で考えれば、簡単だ。安全保障には金をかけない。一方で健全な産業基盤を取り戻す。
2023年はこの二つの目標に国を挙げて取り組まなければならない。待ったなしだ。
それでなくても日本人は何かというと、過激に振れる。今年の年末あたりには「食料危機」といった言葉が跳梁跋扈しているかもしれない。
「自分たちは国土を作っているんだ」という意味合いのスローガンを掲げる不動産企業があった。今こそ国を挙げて農地を増やすことを考えねばならない。空中に作るのか、海に作るのか。思案のしどころだろう。
日本にはストックエネルギーはないが、フローのエネルギーはふんだんにある。黒潮や地熱はその一例だ。それらをどう活用するか。
正気に返って思い込みを捨てる。平行線が交わる世界では見えてくること、やらなければいけないことはたくさんあるだろう。
「何にもしないでいれば一番いい。首をすくめて時が過ぎるのを待とう」
そんな考えの人もまだまだいる。それも組織のかなり上のほうにもだ。
繰り返すが、地球は戦国時代そのもの。生き残る知恵は自前で開発しなければならない。
2023年のNHK大河ドラマではないが、「どうする岸田」。まさにそんな局面だ。
インターネットによってあらゆる知見がすぐに手に入る環境は実現している。その気になりさえすれば、米国との関係をはじめ、現実を直視することは難しくない。
あまり指摘されないが、一人当たりGDPは台湾や韓国のほうが日本よりもはや高い。この国はそこまで貧しくなっている。国民が直視しないだけだ。
戦国乱世の世に今の日本のような国があったら、とっくに滅んでいるだろう。もう一度根っこを確認して生きていく必要がありそうだ。
「どうするニッポン」
この問い掛けがかつてなく重く響く。そんな年が始まった。