外交にはセンスが必要だ。誰にでも備わっているものではない。我が国の歴代外務大臣の顔ぶれを眺めてみても、その点ははっきりしている。
日本の現首相である岸田文雄氏は外相経験者でもある。2012年12月に発足した第2次安倍晋三内閣で外相として入閣。2017年8月の内閣改造・自民党役員人事で政務調査会長に転じるまで戦後の外相としては歴代2位、専任としては歴代最長の在任記録を残している。
外交には基本から応用まで幾層にも渡るスキルが求められる。だが、経験豊富なはずの岸田氏はどうも基本がなっていない。センスも感じられない。
2022年2月24日、ロシアとウクライナの戦争が始まると、岸田首相はロシアの外交官を日本国内から追い出した。プーチン大統領をはじめ同国要人の資産凍結も行っている。外相経験者としては異例の対応と言っていい。
これは「お前とは話さない」と態度で示しているのに等しい。ウクライナの国土に軍事侵攻した事実を受け、ホワイトハウスの尻馬に乗っているだけだ。
外交上、やっていいことと悪いことは明確に線引きされている。どんな事情があるにせよ、首脳と顔を合わせられなくなるような事態は避ける。当たり前の判断だろう。
比較するのは気が引けるが、その点、インドのモディ政権の立ち回りは見事である。戦端が開かれて以来、「非同盟」を掲げ、どっちつかずの姿勢を貫いている。
米国がロシアに対し強硬姿勢を取るのはうなずける。一方で軍隊は派遣しないのもさすがだ。だが、「同盟国」というだけで日本までが同一の歩調を取るのはいただけない。日本にとってロシア、さらに中国はお隣だ。これまで両国とはそれなりに気を使いながら付き合ってきた。その成果をどぶに捨てるなどもってのほかではないか。
外交力を維持するにはドアは開けっぱなしのままにしておくに限る。岸田内閣の対応はその点誠に愚かしい。同調圧力に負けているようにしか見えない。
憤懣やる方ない思いに駆られていたある日、2冊の書物が目に止まった。アンドル・バインスタイン『武器ビジネス』(原書房)上下巻である。戦場を駆ける伝説の武器商人に始まり、特別な物流システムや政財界を動かす武器マネーの流れまでを追ったノンフィクションである。
さっそく通読し、米国の国柄についてあらためて考えさせられた。米国の歴代大統領は武器商人のセールスマン。国家の成り立ちからして軍産複合体が深く関わっている。今まさに戦火を交えている敵国にさえ武器を売りかねない。それも米国の横顔だ。
ウクライナ侵攻以降、西側諸国は防衛予算を増額した。米国の軍需産業大手各社の株価は10〜20%もの上昇を示し最高値が続出。好況そのものだ。
ウォール街には「恐怖と欲が相場を動かす」との格言があるという。ウクライナ戦争が長期化すればするほど、米国軍事企業の株価は高騰する。西側諸国がウクライナの自由と民主主義を支えようと軍事支援を強化。好むと好まざるとにかかわらず、米国の巨大な軍需産業が利益を得ているのは間違いない。
そんな中、8月には現職の米国連邦議会のペロシ下院議長が現職としては四半世紀ぶりに台湾を訪問した。連邦議会は実質的に軍産複合体によって管理されている。
訪台は新たな火種作りへの地ならしではないのか。これは決して邪推ではない。軍産複合体はまさに需要の創造を行おうとしている。
誤解を恐れずに記せば、日本にとってウクライナでの戦が長引くのは僥倖に他ならない。米国の目がなるべく台湾に向かないようにしておく。それこそが身を守る上での要だからだ。
戦争の長期化によって市場を永続化する。これこそが軍産複合体の狙いである。
ウクライナ侵攻以降、米国は石油や天然ガスの輸出でもぼろ儲けしている。どう転んでも大国が儲かる構図に変わりはない。
戦争の進展を見守りながら、この夏、私はパリでお盆休みを過ごした。不謹慎の謗りは免れないだろう。
メインテーマはルーブル美術館への再訪。かつて訪れた際には「モナリザ」を除き、駆け足程度でしか見られなかった名画たちを目に焼き付けておきたかった。
欧州に足を踏み入れると、そこにあったのは2019年以前と変わらぬ日常と喧騒だった。パンデミックは完全に収束していたのだ。花の都には欧州全域から「田舎者」たちが押し寄せていた。域外の人間ではあるが、私もその一人に違いない。
休暇はあっという間に終わりに近づいていた。日本に帰る飛行機に登場するためには直近の72時間以内に現地でPCR検査を受け、陰性証明を発行してもらわねばならない。この証明は当然フランス語で書かれている。日本語の書式に直してもらう必要がある。
これだけでは済まない。さらに「MySOS」というアプリのダウンロードも義務付けられている。このアプリは私自身や家族の健康・医療記録を登録するものだ。新型コロナウイルス感染症の予防ワクチンを3回接種したことも登録してある。このアプリをダウンロードし、日本語の検査証明を送り、一定の時間を経過すると、表示が青くなる。パリの空港では陰性証明書を一瞥しただけで簡単に乗れたが、羽田では陰性証明とは別にその青くなった画面を見せなければならない。
空港の検疫所には防護服を着たスタッフが大勢いた。青い画面を掲げてその中を通過すると、パソコンを並べたスタッフがMySOSのQRコードと陰性証明書を照合し厚生労働省検疫所が発行する青い紙を手渡してくれる。最終的にこの紙を専用のブースで提示しないと、通過はできない。結果的に税関はほぼフリーで通り抜けられた。
その頃発生していたコロナウイルスの最新型の株は潜伏期間も短くなっていた。現地で感染し、飛行機の中で発症する人もいたらしい。だが、機内で眠っている間に症状は微熱程度にまで収まってしまうことも多い。つまり、72時間以内の検査や「青い紙」にそもそも意味はないわけだ。
それにしても多くのスタッフが雇われていた。つい大手人材派遣会社の名を思い出してしまったほどだ。何の意味もない検査体制のために無駄な労力を注ぎ込む。これも一つの利権なのだろうか。
現役時代、マーケティングについてセミナーで講師を務めたことがある。
「マーケティングとは何ですか? 定義を教えてください」
そんな質問が必ず出る。私はこう答えていた。
「変化への対応です」
まだ社会にものがなかった時代。企業はものを作りさえすればよかった。作ったものは「ここにあるよ」と教えてさえやれば、黙っていても売れていくからだ。
典型例がT型フォード。フォード社は大変な数を生産し、見事に売った。
次第に時代は流れ、人々は満たされてくる。となると、好みが生まれる。ここで必要になるのが変化への対応だ。
フォードはこの変化への対応に出遅れた。代わって時代の最先端に躍り出たのはGMである。さまざまな車種を取り揃え、顧客のニーズに応えた。
こうした考察は何も私の専売特許ではない。どんなマーケティングの教科書にも書かれている。豊かな時代が到来すると、消費者はいろいろな好みを持つようになる。一人ひとりの変化に対応しなければならない。
では、現在はどうか。自動車メーカーが困っているのは「車なんかいらない」という消費者が増えている点だろう。飽食の時代ここに極まれり。贅沢なものだ。
ここまで来ると、マーケッターは「いらないもの」を売らなければならない。これこそが「需要の創造」である。
ものを作れば売れた時代にはマーケティングは必要なかった。少し豊かになってくると、企業間で競争が起こり、変化への対応が求められる。マーケティングにも出番が生まれた。そこからさらに時代が進むと、企業は需要の創造に迫られるようになっていく。
技術的に可能ならば、どんな分野でも自由に需要の創造を行っていいのか。私は決してそうは思わない。
医療や製薬など、人の生命に直結する領域。ましてや戦争。それらが需要創造に結びつくだろうか。
繰り返しになるが、ペロシ下院議長の訪台は需要創造が目的だった。あまりにもあからさまである。
戦後70年以上にわたって私たち日本人は米国に準じて判断し行動するのが正しいと思い込まされていた。まさに「赤いメガネ」をかけさせられてきたわけだ。
こうした歴史を十分に理解した上で「宗主国」、いや、「同盟国」とどうバランスを取りながら付き合っていくか。
安倍元首相の国葬をめぐって議論が活発化している。主要国の首脳が一時に集まるのは悪いことではない。弔問外交のチャンスともなるだろう。ここで我が国ならではの見識を示してもらいたい。
国葬を立派に成し遂げて、「黄金の3年間」を迎えられるのであれば、本当にそうしてほしいと思う。
岸田首相は運のいい人だ。ツキに恵まれている。55年体制の旧弊を打ち破り、自立した国への道をここから開いてくれるかもしれない。安倍元首相の死を政治利用するのなら、いっそそこまでやってほしいものだ。
「自立自尊」の4文字を胸に変化に対応する。そんなトップリーダーの差配を見てみたい。
Photo ©首相官邸 2022 “日米首脳会談等“. Licensed under the CC BY 4.0.