英国の女王・エリザベス2世が2022年9月8日、逝去した。
誠に残念ながら私は陛下の謦咳に接する機会を持たなかった。ただ、バッキンガム宮殿にお邪魔したことだけはある。
英国王室の財務内容を改善する名目で夏の間、女王の不在を見計って一般に開放する。「夏の一般公開」と呼ばれる催しだ。数年前、私もそれに参加した。チケット料金はいくらだったか。結構しっかりした額を払ったと記憶している。
陛下は夏休みでお留守。その間にお部屋をのぞかせてもらった。参加したのは英国民を中心とするおびただしい数の観光客である。
英国王室もなかなかに商魂たくましい。宮殿内の庭園では陛下のロゴが入った記念品が並べられていた。灰皿やバッジ、クッキー、チョコレート。品は多岐にわたっていた。もちろん、それらは全て売り物。記念品即売の大バザールだ。
女王陛下のマークは英国社会の至るところで目につく。確か郵便ポストにもあったはずだ。バザールの商品にはいずれも売れていくだけの力があった。観光客たちは皆喜んで買っていく。
女王陛下のお部屋にはフェルメールの絵画がかかっていた。題名は「Music Lesson(音楽のレッスン)」。以前から見たいと思っていた。
英国王室がコレクションの一つとして入手した貴重な絵だ。貸し出しで宮殿の外に持ち出すことはない。日本で企画される展覧会ではお目にかかれない代物だ。展示の仕方も実にさりげないものだった。作品事態に力があればこそだろう。本物のフェルメールに触れ、深い感銘を受けた。
私と女王陛下に接点と呼べるものがあったとすれば、その程度だ。
もう一つだけ付け加えるとしよう。陛下の即位70周年を記念する式典が6月に行われた。バルコニーにお出ましになった際のお姿はかなり無理をされているようで痛々しかった。だが、在位70年は英国王室でもこれまでにない記録。おめでたいことであるのは間違いない。
バルコニーに陛下の手を引いて現れたのがケント公。ケント公は英国の公爵位の一つ。現在は国王ジョージ5世の孫である王子エドワードが保有している。ケント公のお顔を拝見し、私はなんともいえない懐かしさにとらわれた。2017年のことだ。私は彼にお目にかかり、握手を交わしている。この話はこれ以上長くは語らない。
晩年の女王陛下はそれ以前にも増して気丈に振る舞っておられた。その中でも「本当に公務に身を捧げている」と思わされたことがある。
亡くなる2、3日前のことだ。ボリス・ジョンソンの党首辞任を受けて行われた保守党党首選挙に勝利したリズ・トラス新首相と陛下は面会した。陛下はいつもと変わらず実にチャーミング。だが、トラス首相と握手する手の甲を見て私は唖然とした。紫の斑点があったからだ。経験者ならわかる。点滴の跡だった。手の甲に頻繁に針を刺していると、紫色の斑点ができる。察するに、陛下は新首相との面会の直前まで点滴を受けていたのだろうう。陛下は自身が任命する15人目、最後の首相と会うという公務をこなし、旅立たれた。
最期まで毅然とした態度を貫かれ、弱みは絶対に見せなかった。そのことを思うと、おいたわしいという感想しか浮かんでこない。
女王陛下の葬儀は国葬として執り行われることになった。各国から元首や首脳級の要人が参列した。日本からも1組のカップルしか弔問できない。天皇皇后両陛下が行かれた。最適だったと私は思っている。これがあるべき形であるし、いいことでもある。一方、国内では9月27日に安倍晋三元首相の国葬が挙行される。一部にはエリザベス女王の国葬と比較して、「随分見劣りのするものになるのでは」との声も聞かれる。そうしたことは本来言うべきではない。
ただ、国葬にどれだけの人が集まるかには注目している。ここからはマーケターとしての私の考察である。
国葬にどれだけの人々が集まるかはその国の威容を示している。国家としての総合力でもあるし、ブランド力と言ってもいいだろう。ブランド力とは何か。ごく単純に説明すれば、こうだ。AとB、2つの商品があるとしよう。性能が同じならば、ブランド力のあるほうが高く売れる。
マーケティングとはブランド構築の技術そのものである。あなたが提供しているものが仮にブランドでないとすれば、それはコモディティーでしかない。コモディティーとは価格でしか選ばれないものだ。生産力のみによって評価される。白物をはじめ、日本の家庭用電化製品もほとんどがコモディティー化してしまった。最近ではテレビもそうだ。コモディティー化すれば、人件費の安い国が競争では優位に立つ。
英国と日本を比較してみよう。面積で見ると、英国は日本の3分の2。人口は半分ほどだ。国内総生産(GDP)は日本の7割くらい。にもかかわらず、国債の格付けでは日本は英国の風下に立たされている。ムーディーズによれば、英国はAa3、日本はA1。順位でいえば、英国は18位、日本は24位。スタンダードアンドプアーズやフィッチでもこの傾向は変わらない。
ここまでは「国力」による比較だ。では、ブランド力ではどうだろうか。英国は国際連合の常任理事国。日本は常任理事国には絶対になれない。国連の正式名称は「United Nations」。つまりは「連合国」だ。枢軸国側として第二次世界大戦に参戦した日本が常任理事国になれるはずがない。
それどころか、国連憲章には「死文化している」とはいえ、いまだに「敵国条項」が残っている。日独伊の3カ国は今なお隠然と敵視され、除外されている。
大学ではどうだろうか。英国のオックスフォード大学は世界大学ランキングで1位の常連。英語圏では最古の大学で世界有数の名門でもある。タイムズ・ハイヤー・エデュケーションが発表した最新の2022年ランキングでもオックスフォード大は1位に輝いた。国内で最高位は東京大学で35位。それに次ぐ京都大学は61位だった。中国は北京大学、清華大学(共に16位)、香港大学(30位)と、ベスト30に3校を送り込んでいる。
国家のブランド力は歴史でもある。長い歴史を持つ国はそれだけで重く見られる。天皇皇后両陛下が国葬で訪英するのは世界に日本のブランド力を示すまたとない機会になり得る。
国葬は9月19日、ロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われた。天皇皇后両陛下の席次は6列目。隣はマレーシアのアブドゥラ国王だったという。米国のジョー・バイデン大統領は通路側の14列目。ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領夫妻の後ろ、チェコ共和国のペトル・フィアラ首相夫妻の前、スイスのイニャツィオ・カシス大統領の隣だった。
さて、我が国の国葬はどうなるのか。ドイツのアンゲラ・メルケル元首相やフランスのエマニュエル・マクロン大統領は欠席と報じられている。岸田文雄首相は自身の政権基盤の安定化のために安倍元首相の死を利用しようとした。吉田茂氏を最後に行われてこなかった国葬を執り行うのもそのためだろう。
岸田首相はしきりに「聞く力」を誇示する。だが、国葬決定の過程からはしっかり聞いた形跡はうかがえない。麻生太郎・自民党副総裁あたりからねじ込まれたのだろうか。決断を早まった印象が強い。
見え見えの意図ばかりが先走って、日本のブランド力をかえって汚す。そんな結果だけは避けねばならない。岸田首相の魂胆は天皇皇后両陛下の参列で日本の伝統に注目が集まる情勢に水を差しかねない。心から願うばかりだ。
国のブランド力はかなり深遠なものでもある。その国がどういう哲学を持っているか。これまでその国がどんなありようを維持してきたのか。それらは全てブランド力に現れる。
では、日本のブランド力を高めていくには今後どうすればいいのだろうか。人口減少は差し当たって問題ではなさそうだ。英国を見れば、それはよくわかる。
ことブランド力に限っては、かの国に日本は圧倒されるばかりだ。何が違うというのか。
まずは情報力だろう。英国には「MI6」の通称で知られる秘密情報部がある。国外の政治や経済などの秘密情報を収集し、工作する国家機関だ。政治や金融における英国のソフトパワーの強さは情報力によって支えられている。英国とはアングロサクソン文化で共通する部分も多い米国は軍事力にものを言わせて世界を牛耳っている。いうことを聞かなければ、暴力で従わせる。「ドラえもん」でいえば、ジャイアンだ。おかしな話だが、現実の世界はマーケティングのセオリー通りに動いている。各国の首脳陣が考えることに大差はない。国際間の競争でいかに有利に立つか。そのためには自国と敵国を比較し、長所は伸ばし、短所は補う。これだけだ。
日本はかつて米国にこれを徹底的にやられた。第二次世界大戦時の話ではない。1985年9月22日のプラザ合意以降、「失った30年」に至る過程でのことだ。
米国は日本の強みと弱みを精緻に調査し、丸裸にした。日本の弱みは一言でいうと、「どこか性善説の人間が集まっている」ことである。競争優位で常に戦っている民族から見れば、日本はそう見えて仕方がない。
その上、日本人は「グローバルスタンダード」という言葉にどうも弱い。これを出されると、なぜか合わせなければならないような気がしてしまう。足を引っ張られる結果に終わろうと、全体が一気にそちらの方向に走り出す。まるで錦の御旗だ。
米国はマーケティングの技術を駆使し、日本の特性を把握。その上で完膚なきまでに叩きのめした。何ら不思議なことではない。そもそもかの国はマーケティング発祥の地でもある。フィリップ・コトラーをはじめ大家によるマーケティング理論も米国からもたらされたものが多い。日本と米国は同盟関係にあるといわれる。だが、経済においては正当な競争の範囲内でしのぎを削ってきた。今後もそれは避けられないだろう。
日本経済は現在、「戦後」の状態にある。日本は米国との経済戦争で一敗地にまみれた。敗戦国なのだ。にもかかわらず、この国の為政者は敗因をきちんと分析しようとしない。なぜ負けたのか。勝ち目はなかったのか。こうした点を詳細に分析しない限り、日本は再び敗れることになるだろう。岸田内閣は今すぐにでも敗戦分析に着手すべきだ。その上で変えることと変えないでいいことを自覚する必要がある。
だが、日本国内で「敗戦」を口にすると、どういうわけか不興を買うらしい。現実を直視するのが苦手な国民性でもあるのだろうか。
敗因分析を避けるのには一つ明確な理由がある。私たちは責任を問われる事態を嫌う傾向が強い。仕事と人格を安易に結びつけてしまうこともよくある。だが、マーケティングの理論から見れば、強みや弱みを拾い上げるのは当たり前のことだ。何も悪口や揚げ足取りをしたいわけではない。
マーケターの視点で言わせてもらえば、「鬼畜米英」の時代と「小泉改革」の時代の両方で日本は陥穽に落ちていた。米国にしてみれば、思う壺である。私たちは今また日本のブランドを傷つけかけない方向に進もうとしている。岸田内閣は国政選挙のない「黄金の3年間」を無為無策で過ごすのだろうか。嘆かわしい限りである。
政治は一国のブランド力を作り、高めていく上で大きな働きをする。言うまでもないことだろう。
英国の庶民院(下院)を構成する議員定数は650人。これは衆議院の定数(小選挙区300人、比例代表165人で合計465人)よりも多い。繰り返すが、英国の人口は日本の約半分。議員歳費を比較すると、3分の1ほどだ。
日本の歳費の高さにはもともと定評がある。英国LOVEMONEY.COM の調査「This is what politicians get paid around the world」(2019年)を参照すれば、シンガポール、ナイジェリアに次いで世界第3位。種々の手当を含めると、トップクラスの充実ぶりを誇っている。
何のために政治を志し、国会議員になるのか。国をよくするために手弁当でも頑張る覚悟はあるのか。
議員定数を減らす議論は繰り返し浮上してきた。だが、日本は議院内閣制を取っている。国会で多数を得た政党が内閣を組織し、行政府を統制する。中央省庁はいずれも巨大な組織だ。大臣や副大臣、政務官としてそれらの組織を差配することを考えれば、定数削減が必ずしも合理的であるとは思えない。国会議員にはせめて真剣にやってほしい。政治力や統括力があってこそ、民力も生きてくる。そう信じるからだ。
敗因分析に話を戻す。個別の分野ごとに詳しい検討が必要だろう。例えば、エネルギーの分野。世界有数の地震国である日本に原子力発電はふさわしくない。30年間にわたって産業界の構成がほとんど変わっていないのも問題だろう。工業力は自立への大きな要素だ。成長が見込める領域には思い切って公費を投入すべきだろう。戦力の逐次投入が愚策であることは歴史が証明している。
この国にはかつて「モーレツ社員」と呼ばれる人種がいた。高度成長期を支えたのはがむしゃらに働いた彼らだ。残念ながら、今の日本に伝統の名残はない。未来に希望が持てない以上、モーレツはあり得ないのだろう。
ブランド力を放棄した国家は価格でしか評価されないジレンマに陥ってしまう。そうなると、がむしゃらに働いたとしても見入りは小さいままだ。そんな国柄に甘んじていいのだろうか。
日本人の平均年収は489万円。国外に出てみると、実感する。このところのコストプッシュインフレと円安でさらに体感は強まっている。これではいかに勤勉な国民であっても報われない。せめて1ドル=100円台に戻ればと思うが、それも遠い夢なのかもしれない。
今、日本経済は苦境にある。これは多くの人が認めるところだろう。だが、景気循環型の「不況」とは違う。敗戦による衰退なのだ。ここを見誤らないようにしたい。エマニュエル・トッドが言うように、第三次世界大戦はすでに始まっているのかもしれない。戦争といっても、ドンパチばかりではない。経済戦争だ。そして、日本は敗れた。
本気で敗因分析をやるのであれば、今の国会には人も知恵も金も足りない。だが、それでもやらなければならない。
「国会を1日開くと3億円かかる」
こんな話をよく耳にする。実にばかばかしい議論だ。やめてもらいたい。
私たちは明らかにマーケティングで負けた。極めてシンプルな現実だ。勝った相手国に悪気は全くない。これは正当な競争なのだ。そこで用いられる原理がマーケティングである。欧米の文化では当たり前の常識だ。
日本の国民性はもともとウェット。議論で押さえ込まれると、人格を否定されたように感じてしまう。
だが、同じ過ちを繰り返してはならない。敗因分析を徹底的にすべし。米国をはじめ先進国はどこでも当たり前にやっている。経済敗戦とはゲームで負けたことに他ならない。だったらもう一度挑みかかり、勝てばいい。それだけのことだ。
そのためにも国の要である政治力を発揮しなければならない。
国会議員諸君よ、今こそもっと働け。そう言っておきたい
Cover photo ©James Boyes 2022. Licensed under the CC BY 2.0.