ウクライナ侵攻から1年

去る2月24日でロシアによるウクライナ侵攻から1年が経過した。この1年でいったい何が変わったのか。
もしかすると、この戦争について私たちは現象として起きたことのみに囚われすぎているのかもしれない。巨大な帝国が武力にものを言わせ、隣国を侵略する。確かに極めて暴力的な事態だ。「19世紀的な戦争」の再来である。
21世紀の今、このような出来事を目撃することになると誰が予想し得ただろうか。20世紀後半から希求されてきた軍事力による正面衝突によらない国際紛争解決。その大きな潮流は少なくとも一旦は立ち消えとなった。

生物である以上、人間には寿命がある。十干十二支から成る干支は60年で一周し、還暦となる。私も齢六十を超えてすでに久しい。
繰り返すのは干支ばかりではない。人間の行動も似たようなものだ。人は同じことを繰り返して何度もしてしまう。いいことばかりではない。蛮行や愚行とも簡単に決別はできないようだ。
ロシア・ウクライナ戦争以後の世界を見ていく上で前提とすべき事象がいくつかある。例えば、フランスの人口統計学者エマニュエル・トッドが指摘していた「ロシアは軍事力が弱く、経済が強かった」という点。一般的な認識とは裏返しになっている。興味深い。

日本では大手メディアを中心に「ウクライナで平和に暮らす市民の生活が戦車で蹂躙された」との見方が支配的だ。確かに一片の真実ではある。
だが、一方で彼の国は長く内戦状態にあった。元外務省国際情報局分析第一課主任分析官・佐藤優が早くから喝破していた通りだ。西側諸国はウクライナ政府に情報を提供。侵攻に向けた準備をさせていたともいわれる。
2月26日放送の「NHKスペシャル」は「ウクライナ大統領府 軍事侵攻・緊迫の72時間」と題し、この戦争の火蓋が切られた3日間に焦点を絞って伝えた。ロシア政府の目論見はこうだ。侵攻開始から3日で首都を制圧し、ゼレンスキー大統領を放逐。住民投票を実施し、ウクライナ東部と南部の4州を編入する。クリミア半島での成功体験を踏襲した計画だった。
だが、現実にはそうは運ばなかった。一言で言えば、あてが外れたのだ。ウクライナ側の組織的抵抗がここまで続くと予想した軍事専門家がどれだけいたのか。

こうした「19世紀的戦争の再来」に加えて「核の脅威」「武器としての食料や資源の活用」。これら3つがウクライナ侵攻以後に起きた変化だという。大方の識者の見方と言っていい。
結局、人間は誠に古めかしい戦争をしてしまう生物なのだ。核拡散防止条約をはじめ核軍縮の努力は続いているものの、核の脅威は厳然として存在する。食料や資源の供給体制の変化によって世界各地で自由貿易体制が綻びを見せ始めている。
19世紀以来、戦火の中でさんざん痛い目を見てきたにもかかわらず、基本的に人類は全く懲りていない。どこまで歴史に学ばないのだろう。

私の専門であるマーケティングの観点からウクライナ侵攻後の1年を検証すると、どうなるだろう。少し考えてみたい。
ここで取り上げるのは「シナリオマーケティング」と呼ばれる手法だ。文字通り、シナリオを書くことで筋書きを作り、顧客の行動を予測する。ごく短いプロットで言えば、お客さんが店に来る。商品に興味を持つ。手に取る。買う。こうした一連の行動を分析する。当たり前といえば、当たり前のことだ。
もう少し長いスパンで見てみる。新しく発売となる自動車をテレビコマーシャルで告知する。お客さんの側からすれば、CMを通じて商品を知る。ショールームに足を運ぶ。ディーラーの説明を受け、気に入れば、購入の手続きを取る。
これらのプロセスで最も重要なのは、お客さんがどういう状態にあるのかを把握しておくことだ。
あるお客さんを想定してみる。そのお客さんは今、車をどうしているのか。耐用年数から見て、今、買う状態にあるのか。年齢構成でいえば、スポーツカーなのか、ワゴンなのか。前に買ってから何年経つのか。車検の時期はいつか。
お客さんの状態をライフサイクルを軸にしてステージ別に分析していく。見込み客になり得るタイミングは限られている。どんなタイプの車を買うかは職業や年収など、属性によってあらかた決まってくる。
おわかりのように、シナリオマーケティングにおける最大のポイントは顧客データをいかに充実させられるかだ。シナリオはデータに合わせて構築していく。
ここでいうシナリオは一度書き上げたらそれでおしまいではない。評価軸を持ちながら、書き直しの作業を常に怠ってはならない。

ロシアのプーチン大統領はウクライナ侵攻に当たってシナリオが「A案」しかなかった。例の72時間で首都制圧云々である。だが、見事にあてが外れた。マーケターからすれば、信じがたい事態だ。
世界中に知れ渡っている通り、プーチンは旧ソ連国家保安委員会(KGB)出身だ。情報機関といえば、シナリオは複数用意した上で周到に任務に当たるのものだろう。プーチンが置かれている現在の環境は「独裁の罠」にはまっていたのだろうか。正確な情報が入っていなかった可能性がある。
あるいは個人的な思い入れが強すぎ、判断が狂ったのか。プーチンがロシア正教の強い影響下にあるのは周知の事実だ。
マーケティングでいえば顧客に当たるウクライナの状態をプーチンは正確に把握できていなかった。繰り返しになるが、クリミアでのシナリオがそのまま転用できると楽観していたのだろう。失態というほかない。
シナリオマーケティングではA案一択はあり得ない。シナリオは評価しつつ、常に見直すものだからだ。顧客の置かれている状態は変化する。最悪の場合、勤務先の会社が倒産することもある。さまざまな不測の事態を織り込みながら、アセスメントを繰り返し、見直しと切り替えの作業を続けていく。
当初の目論見が外れたとしても、プーチンが「B案」を持っていさえすれば、今日のような醜態をさらすことはなかったかもしれない。

「将軍はひとつ前の戦争を戦う」こんな格言があるという。旅順攻略を中心に日露戦争を描いた映画「二百三高地」にこんな場面があった。旅順を攻めあぐねる第三軍司令官・乃木希典。次第に批判の声が高まってくる。そんな中、息子・保典が司令部を尋ねてくる。父親を「名将として尊敬しております」と告げる息子に乃木は述懐する。 「命令によって何千人もの兵をしに至らしめる司令官に名将などあり得ない。わしが指揮官として優秀であったのは少将時代までじゃ。それ以降は木石に徹しておる。木石がつとまる代わりがいたら、代わってもらいたい」
ロシアの指揮官も乃木と同じ轍を踏んだのか。ウクライナで展開されたのは「一つ前の戦争」に他ならなかった。チェチェン紛争は消耗戦となり、10年続いている。
戦争は長期化の様相を日増しに強めている。ウクライナ侵攻を扇動した勢力──米国の軍需産業や天然資源産業にとっては非常に好ましい事態だ。
A案しか持ち合わせていなかったリーダーが開戦に踏み切り、現場では将軍が古い戦いを再現している。これを失敗と言わずして何と言うのか。現実を直視しなければならない。その上で日本をはじめ、世界各国の舵取りが問われる局面だろう。

「顧客」のデータを充実させることが急務。そのためにこそ、情報戦に長けた英米両国には秘密情報部(MI6)や中央情報局(CIA)と言った情報機関が置かれている。日本政府にはどこまでシナリオ構築能力があるのか。誠に心許ないのが実情だ。中央省庁は税金と職権で情報を集められる。官僚たちも試験秀才であるのは間違いない。データは持っているのだ。にもかかわらず、シナリオが描けない。
直近で象徴的な出来事を挙げてみよう。厚生労働省の人口動態統計速報によると、2022年に生まれた赤ん坊の数は前年比5.1%減の79万9728人。80万人を割り込むのは統計開始から初めてだという。
国立社会保障・人口問題研究所の推計(17年)では、外国人を含む出生数が79万人台になるのは33年とされていた。想定より11年早く少子化が進んだことになる。何年かはメディアによって差があるものの、推計が外れており、少子化の進展が速い点では大差はない。
この報道に私は違和感を覚えた。現役時代から人口動態統計を追ってきた。経験を基にした実感でいえば、人口動態推計はむしろ当たっている。いや、「当たる」「外れる」は表現として正確さに欠ける。人口動態推計は現在までの推移を基調として、「このままで行けば、こうなる」と示した計算値だからだ。プロ野球の順位予想とはわけが違う。
注目すべきは高位推計、中位推計、低位推計と、3つの種類がある点だ。平たくいえば、高位推計は最大期待値、低位推計は限界最小値に当たる。特に注釈のない場合、報道では中位推計を扱う。だからといって、中位推計が本気の予測とは限らない。役所は幅を提示しているだけだ。
計算に当たっているのはAIではない。生身の人間、官僚である。組織の一員である以上、忖度が働くこともあるだろう。「鉛筆をなめた数字」というやつだ。
これまでの推移を見れば、ここまで出生率は下がる。優秀な官僚はそんなことは百も承知だ。だが、現実の直視が不得手な政治家と国民世論に対して「不都合な真実」を突きつけるわけにはいかない。とはいえ、選良の性としてまるっきり捏造した数字を公表するのも憚られる。こうして3通りの推計が発表されてきた。極めて日本的な沙汰ではないか。
もうおわかりだろう。高位、中位、低位の幅の中で示される数字のうち、「当たっている」のは低位である。出生数が激減することは四半世紀前からこの上なく正確に予測されていた。ただし、低位推計としてだ。
官僚は献策する立場に過ぎない。選択し、決断し、責任を取るのは政治家だ。
「自分の任期中に面倒なことが起きては困る」そんな議員諸氏の心性ゆえに正しいはずの低位推計が退けられてきたのではないか。これまた日本的すぎる。ともかく、この国の政府は基本中の基本である顧客データの正確な把握につまずいてきた。こと人口問題に関しては短期的な解決は難しい。「頑張ればなんとかなる」的な精神論とも無縁だ。異次元だかの少子化対策が功をそうしたとしても、潮目が変わるのは早くて30年後。出生率の低下はつまり、「母親になる女性の減少」。この傾向は加速度的に進んでいく。慣性の法則のようなものだ。10年や20年ではどうしようもない。とっくにわかっていた出生率激減のデータ。だが、日本の指導者たちはそこから目を背け続けた。無難な数字だけをつまみ上げ、現在のような仕儀となっている。
内政においてこの体たらくだ。外交・安全保障だけ及第点とはいくはずがない。日本政府はプーチンの状態をつかめていたのだろうか。ライフサイクルや属性からいえば、今どこにいるのか。どんな筋から、いかなる情報を得ているのか。
シナリオマーケティングの観点からいえば、日本の現状は誠にお粗末と言う他ない。

これほどの惨状を前にこの国の若者たちは何を思っているのだろう。私はその点が気になっている。
ここは逆転の発想でいくのがいい。プーチンの影響力を参考にしてはどうだろう。大国の指導者とはいえ、一個人の言動がこれだけ世界を揺さぶっている。個人は偉大だ。大きな影響力がある。祖国の動向に一喜一憂せず、希望を持って学んでほしい。政府が都合のよいデータしか選ばないとすれば、私たちはどうすればいいのだろうか。国民自らがシナリオを考える必要がある。民主主義を守るにはそれしかない。中央省庁に適切な情報開示を迫りながら、シナリオを作っていく。プーチンの戦争、さらには列強の勢力図の中で日本は今度どんな目に遭うことになるのか。残念ながら、それを明示したシナリオにはまだお目にかかっていない。
「国民が混乱するから公表は差し控える」
これまでに何度か見聞きしたお決まりのパターンからはそろそろ脱却したい。マーケティングを学んでいくと、「汝自身を知れ」という至言にたどり着く。置かれている状況さえわかれば、対応策はいかようにも立てられる。
ウクライナ侵攻から1年。日増しに春めいてくる中、感じたことを走り書きしてみた。逃避している場合ではない。ダチョウよ、土の中から首を出せ。

Photo ©Kremlin.ru 2022. Licenced under the CC BY 4.0.

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