デジタル衆愚政治

去る7月2日未明に発生したKDDIの通信障害。最大で3915万回線に影響が及んだ。

7月5日にはようやく復旧宣言が出たが、障害は約3日間と長期化。異例の事態といっていいだろう。お恥ずかしい話だが、私もご多聞にもれず、被害に遭った口だ。インターネットへの接続はもちろん、通話すらままならず往生させられた。

通信障害の最中、地上波テレビの情報番組に出演した識者の発言。相変わらずの内容だった。

「こうした事態に備えて日頃からリスクを分散しておく必要があります。ご家族でキャリアを分けるのも一つの対策でしょう」

平気でそんなことをのたまう。では聞くが、平時に通信各社が宣伝に努めてきた「家族割」や「ファミリー割」のサービスとは何だったのか。情報通信に精通する専門家なら、そのときに家族間でキャリアを統一する危険性に言及し、警鐘を鳴らすべきではなかったか。

愚痴はともかく、私たちの生活にスマートフォンがもはやなくてはならない要素になっている。その事実を嫌というほど知らされる経験には違いなかった。

どうも私たち日本人は何か異常事態が発生すると、大袈裟に騒ぎすぎる傾向があるようだ。中央省庁にしてみれば、然るべき時期に注意を喚起しておかないと、後々何かあったときに叩かれるという恐怖心があるのだろう。多少オーバー気味であったとしても、何もしないよりは遥かにましなのだ。

地球規模のパンデミックとウクライナ紛争を経て「地球温暖化」への対応に変化の兆しが見られる。

ドイツといえば、つい最近まで温暖化抑止に向けたエネルギー戦略でフロントランナーとも呼ぶべき存在だった。だが、その国が今、苦境に直面している。

ウクライナ紛争によってベースロード電源の燃料として期待されてきた天然ガスの調達に支障が生じているからだ。さらには再生可能エネルギーも伸び悩みを見せている。電力価格の高騰により、ショルツ政権は石炭の活用を検討せざるを得なくなった。

もともと私は「地球温暖化」というアジェンダに対して全面的に疑念を拭えずにいた。はっきり言えば、「本当だろうか?」と眉に唾をつけてきた。

これには明確な理由がある。私が高校生だった1960年代半ばには「地球は寒冷化する」という議論が盛んだった。

先頃、テレビドラマ化され話題になった『日本沈没』の原作者・小松左京も1974年に『地球が冷える異常気象』という書物を編んでいる。

前年に『日本沈没』を刊行した小松は同書で「私たちの前にあらわれつつあるのは、『寒冷化』という、大環境システム全体に起こる変動の兆候である」と述べた。あまつさえ飢餓や食糧問題への世界的な対応をも強調している。

同書は今でいう「トンデモ本」の類では全くない。共著者には竹内均(地球物理学)、飯田隼人(同)、根本順吉(気象学)、立川昭二(医療史)、西丸震哉(食料問題)らの碩学が顔をそろえている点でも明らかだろう。それでなくても、環境問題のトピックは10〜20年のサイクルで賽の目のように変わってきた。人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。もちろん、背景はある。

「科学的な知見」をネタに世の人々の不安を煽り、小金を稼ごうとするエセ専門家の跳梁跋扈である。そうした輩の言説を喜んで取り上げる主要メディアの姿勢も問われるべきだろう。

私たちが枝葉末節の問題で一喜一憂するのは何も環境分野に限ったことではない。例えば、投資の世界も似たようなものだ。

近年、株価は小刻みに大きな変動を見せるようになっている。そのため、「景気の先行指標」という古典的な理解はほぼ通用しなくなった。いつ頃からこんな有様になったのだろう。

偏見かもしれないが、ネットトレーダーが一般化した頃からではないだろうか。ちょっとしたきっかけで起きた動きが世の中に大きくぶれて影響してしまう。私たちの社会はさまざまな領域でそんな事態を当たり前のように受容してきた。

政治の世界も例外ではない。SNSの浸透以降、「デジタル衆愚政治」とでも呼ぶような様相を呈してはいないか。

「形容が適切ではない」とお叱りを受けるかもしれない。だが、私の偽らざる実感である。

情報が過大に伝わる。優先すべき課題が短期で簡単に入れ替わる。デジタル化の弊害が政策決定に悪影響を及ぼしているようだ。

「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことができる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」

かつて英国首相ウィンストン・チャーチルが下院で行なった演説のあまりにも有名な一説。苦味を伴って思い出すことが増えてきた。

デジタル衆愚政治の典型的な事例を一つ挙げておこう。米国の元副大統領アル・ゴアの講演に生い立ちをたどる映像を加えたドキュメンタリー「不都合な真実」をめぐる経緯である。この映画で環境問題啓発に貢献したとの理由でゴアはノーベル平和賞を受賞した。

同作のテーマも「地球温暖化」。過去の気象データや温暖化により変化した自然の光景を作中に巧みに挿入。環境問題を直視しない政府の姿勢をゴアは批判し、自然環境を意識しつつ日常を生活することの重要さを説いたとされている。

だが、本当にそうだろうか。作中でゴアが活用した1枚の写真がある。流氷の上にたたずむ1頭のホッキョクグマを捉えたものだ。温暖化が進み氷が解ければ、ホッキョクグマは水死してしまう。そんな説明が付け加えられた。

ゴアはこの写真を実にうまく活用したと思う。だが、この扇情的なストーリーは全くのデタラメだ。

統計が示す通り、温暖化が叫ばれるようになってからもホッキョクグマの頭数は決して減ってはいない。むしろ増えている。

極地の氷が溶けるから地球全体で海面の水位が上がる。そんな説明がなされることもある。水を注いだコップの中に氷を一つ浮かべたとする。その氷が完全に溶けたからといって、水が溢れることはない。これと同じ理屈だ。

スマホの不通で3日間不自由をかこったことから、意外な方向へと考えを巡らせてしまった。だが、些事が騒乱を巻き起こす社会に「デジタル衆愚政治」が蔓延しつつある自覚は共有してもらえるのではないだろうか。

そうであるならば、私たちはどうすればいいのか。私はこんなことを考えている。

「日本人としての独自の哲学、大人の常識をもう一度打ち立てるときではないか」

哲学といっても、何も難解な思想ではない。縄文以来、私たちが何代にもわたって受け継いできた人生観のようなものだ。

とってつけたように「SDGs」に乗っかって虹色のバッジをつけるだけが能ではないだろう。日本人が本来育んできた哲学や常識をもう一度掘り返し、世界に情報を発信すべき時期が来ている。そう、私はこう言いたいのだ。

「日本の大人たちよ、発信せよ」

たかだか2〜3日間、ケータイが通じないくらいで世の中が止まったかのような騒動が生じる。ちょっとしたきっかけで政治や経済、文化の傾向すら変動する「バタフライ効果」は現実にあるようだ。

それほどまでにデジタル環境が発達しているのなら、よりましな方向で活用することを検討すべきだろう。ウェブサイト上のコラムという場を借りて、私もこうして発信している。同世代はもちろん、より若い大人たちに向けてメッセージを送るのも意義があるのではないか。

かつて日本が閉塞感に包まれた時代、私たちの先祖はブラジルやハワイに移民として新天地を求め打って出た。だが、これだけ環境が整った今、物理的に移動する必要は必ずしもない。「デジタル移民」も十分に可能ではないか。

リアルの居住空間は日本国内に置きながら、関心のある国の言論社会において立場を持つ。アバターなり何なりを活用しながら、情報発信に励んでいる人は少なくないようだ。

ここでボトルネックになるのは言葉の問題。日本人が世界にもっと出ていくためには、外国語の能力が欠かせない。古くて新しい課題である。

だが、これもデジタル環境が手助けしてくれる。今や翻訳アプリはあらゆるスマホに搭載されているだろう。

音声で入力すれば、たちどころに各国語に翻訳されてテキストが生成される。夢のような話だ。まさに『ドラえもん』の秘密道具「翻訳こんにゃく」を具現化した世界である。

通信環境がどれだけ発達したとしても、自国の言語でなければ受け入れない。そんな民族は世界中にいる。英語教育に課題を残している日本人も例外ではない。

自前のウェブサイトを設け、英語のページを作るのもいいだろう。日本の大人たちがそうした発信を続けていけば、国際社会におけるこの国の存在感にも恐らく変化が生じていくはずだ。

「英語」といっても、何も流暢なクイーンズイングリッシュを目指す必要はさらさらない。ネイティブでない国の人間同士がコミュニケーションの手段として用いる英語。かつて『道具としての英語』と題するムックのシリーズがあった。まさにそんな感じだ。

著作の累計部数が3500万部を突破した世界的歴史学者・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏。彼の使う英語は実にわかりやすい。

簡素なAI翻訳を上手に使うことで、本当の意味での「民間外交」も進展する。外交の根本は何も難しくない。お互いが知り合い、わかり合う。それだけだ。

日本人は「自己アピールが苦手」とよく評されてきた。いつまでもそんな状態に甘んじているわけにはいかない。インバウンドで潤うのもいいが、それだけでは味気ない。もっと外へ出て行こうではないか。

動画投稿サイトも若者に独占させておくのはもったいない。日本のおじさんも頑張ってほしい。

常識と哲学をわきまえた日本の大人たちへ。今こそ世界に対して物申すときではないだろうか。

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