閉ざされた言語空間〜バイデン来日で露呈

あるいはすでに忘却の彼方に追いやられようとしているのかもしれない。だが、決して「なかった」ことにしてはならない。だから、ここに記しておく。

5月23日、岸田文雄首相は迎賓館赤坂離宮(東京)で米国のジョセフ・バイデン大統領と首脳会談を行った。その後、共同記者会見に臨んでいる。

恐らくは首相官邸記者クラブの幹事社からであろう代表質問は事前に提出されていた。両首脳はそれに淀みなく答える。

続いて国内メディアの記者が質問。これもまるで事前に回答が用意されていたかのような対応がなされた。極めて日本的な記者会見の光景。一種の様式美さえ感じさせる。このままシャンシャンで全てが終わるはずだった。

ところが、ここで異変が起こる。ABCのナンシー・コリンズ記者が挙手。質問を求めたのだ。

ANNnewsCHより

この会見では日本側の記者は司会者、海外メディアの記者はバイデン大統領が指名すると司会者が述べていた。これも妙ではあるが、ひとまず置く。

ナンシー記者はまず、バイデン大統領にサル痘の感染拡大への対応について尋ねた。続いて岸田首相、さらには再びバイデン大統領に質問する。
「もし中国が台湾に侵攻した場合、どのように対応していくおつもりでしょうか。また、その場合、米国は台湾有事にどのように対応するとお考えでしょうか」

両首脳からは当たり障りのない回答が示された。ナンシー記者はバイデン大統領に再質問で迫る。

「ウクライナの紛争には米国は積極的に関わりたくない。それには正当な理由があるのだと思います。一方で台湾を防衛するためには米国は直接関わりますか」

バイデン大統領は短く即答。
「そうです」

ナンシー記者が問い返す。
「本当に?」

バイデン大統領は会見場に詰めかけた記者たちを見回すように言葉を吐いた。
「そういったコミットメントを米国、私たちは示しています。私たちは『一つの中国』政策を支持しています。そして、さまざまな協定を結んできました。しかし、力でこうした現状を変えるという試み。この地域全体でそうしたことを試みるということですが、ウクライナにおいてもそうでした。それは大きい重荷になることは確かだと思います」

ナンシー記者の質問でようやく「国際標準」の記者会見に近づいた。

各メディアは米国人女性記者の功績に全面的に依拠して一斉に報じた。

台湾防衛、軍事関与を明言
2022年05月24日朝刊記事一覧:朝日新聞デジタル

ホワイトハウスは慌てて否定に走った。「大統領の見解は正式には今までと同じ。何ら変わるものではない」というのだ。

だが、ナンシー記者の質問は明らかにファインプレーだった。バイデン大統領から従来にない踏み込んだ発言を引き出すことに成功したからだ。

だが、なぜ、米国人記者なのか。ウクライナ紛争が長期化の様相を呈する中、台湾有事について聞かなければならなかったのは日本人記者である。だが、当日の会見場で彼らが両首脳に迫る姿は見られなかった。

「国境なき記者団」が選定する「報道の自由度ランキング」2022年版が先頃発表された。日本のスコアは64.37(100が最高)で71位に甘んじている。前年の67位より4位もランクダウン。G7国家の中で最下位である。

これでは勘繰らざるを得ない。この国権力と報道機関の間には何らかの統制が働いているのではないか。

【2022年最新】報道の自由度ランキング 日本の順位と世界の状況 | ELEMINIST

問題の根本を辿っていくと、一冊の書物に行き当たる。
文芸評論家・江藤淳が著した『占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間』(文春文庫)。

第二次世界大戦の終結後、日本を占領した米国の軍隊がいかに検閲の体制を整え、実行したか。膨大な一次資料の裏付けにより、その全貌を明らかにしている。検閲により日本の思想と文化は殲滅に向かい、代わって禁忌が自己増殖を遂げた。江藤氏の指摘は今でも、いや、今だからこそ重く響いている。日本の言論空間の基本構造は何ら変わっていないからだ。日本人は70年以上にわたって言論統制を自ら行なってきた。

ウクライナ紛争をめぐる報道でもそれは明らかだ。国内で盛んに飛び交う情報はどれも米英メディアの受け売りばかり。一方的な論調を疑うことなく受け入れ、わかったような御託を並べている。

言論は統制されていると意識して踊っているのなら、まだいい。立場上やむを得ないから、偏った報道に加担している。だが、読者や視聴者はちゃんとわかってくれているだろう。そんな認識は恐らく送り手と受け手の双方にない。残念ながら。

日本は本当に独立国なのか。言論統制の問題から透けて見えるのは明らかに異常なこの国の姿だ。「日本は独立国ではない」とする証拠なら、いくらでもある。

沖縄の地方紙「沖縄タイムス」「琉球新報」が今日まで地道で丹念な取材を続けている「日米地位協定」の問題を持ち出すまでもない。今日もまた拙宅の上空を旅客機が飛んでいく。目黒区の住宅街の上をわざわざ航路にせざるを得ないのは「横田空域」が存在しているからだ。

横田空域の返還 | 東京都都市整備局

横田空域は正式には「横田進入管制区」と呼ばれる。在日米軍横田基地(東京)や米海軍厚木基地(神奈川)に離着陸する米軍機などを管制する空域で米軍が管理している。

空域の範囲は東京、埼玉、群馬、栃木、神奈川、福島、新潟、長野、山梨、静岡の1都9県にまたがる広大なものだ。最低で高度2,450m、最高7,000mまでを米軍が管理下に置いている。

国内の民間航空機が同空域を飛行するには米軍の許可が必要。空域内に飛行経路を設定する場合は米軍と協議や調整を行わなければならない。

羽田空港や成田空港を利用する旅客機の定期便は横田空域を避けて飛行する。米軍の許可をその都度受けずに済むからだ。2008年9月には日本側へ一部が返還され、緩和された。それでも羽田から北陸・西日本方面へ飛行する民間機は、東京湾上で旋回し急上昇して横田空域を越えなければならない。

首都圏周辺の広大な空域。そこはいまだに米軍の許可なしに日本の航空機が飛行できず、管制も日本側ができないままでいる。日米安全保障条約の下で日本の空の主権は侵害されてきた。一方で米軍は日本を戦争の拠点として大いに活用している。どこが主権国家なのだろうか。

あまり知られていないことだが、旅客機からはたびたび物が落ちてくることがある。部品や氷などだ。

相次ぐ「航空機の落下物」…対応策は?| 日テレNEWS

渋谷のスクランブル交差点の上をも旅客機は飛んでいる。人混みを落下物が直撃する事故が起きていないのはたまたまだ。そんな危険を冒してまでも米軍に気を使わなければならないのはなぜか。

目黒区役所を通じて私のところにも定期的に文書が届く。頭上を旅客機が飛んでいることへの説明が縷々書かれている発信元は国土交通省だ。

羽田新経路の固定化回避に係る技術的方策検討会 | 国土交通省の取り組み

「住宅街の上を飛行機が飛んではいるが、ずっとそうすると決まっているわけではない。あくまで暫定的な措置」と印象付けたい検討会のご報告として「安全性については常に監視している」、「疑問や反対の意思があれば、住民は声を上げられる」と、通り一遍の文言が並んでいる。要するに「事態は安全だ」と住民を言いくるめたいだけなのだろう。ガス抜きである。

東京大学をはじめ、名だたる有名大学で学んだであろう官僚たちは真実を糊塗するために日々精勤している。米軍と日本政府のあまりにも不平等な関係。それを誤魔化すために選良たちを使い潰す。とても国益にかなっているとは思えない。

私たちは統制の中で物事を見ている。統制は脆弱だが、その分堅固だ。異常も日々続くと正常になる。そんな頭では共同記者会見や横田空域の歪な実態にも思いをいたすことなどできはしない。

フランスの作家、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの代表作『星の王子さま』には次のような一節がある。

簡単なことだ。
心で見なければ、よく見えない。
大切なことは目に見えないんだ。

サン=テグジュペリ著「星の王子さま」より

「大切なこと」とは何だろうか。私たちは「心で見る」ことができているだろうか。

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