岸田文雄内閣が低空飛行を続けている。共同通信社が11月26、27両日に実施した全国電話世論調査によれば、内閣支持率は33.1%。10月末の前回調査から4.5ポイント下降した。2021年10月に内閣を発足させて以来、最低の数字だ。不支持率は51.6%で初めて5割を超えた。もっとも自民党支持率は34.7%を記録している。
永田町には「青木の法則」「青木の方程式」なるセオリーがある。小渕恵三内閣で官房長官を務め、「参議院のドン」と称された青木幹雄氏が唱え始めたものだ。
青木氏いわく「内閣支持率と自民党支持率の和が50を下回ると、内閣は倒れる。もしくは運営の厳しさに直面する」という。この伝でいけば、岸田内閣の「青木率」は67.8。危険水域に入ったとまでは言い切れない。
メディア各社が行う世論調査による内閣支持率が民意を反映しているとは思わない。
電話調査の精度の問題もある。何より民意は直近の国政選挙の結果で示されている(投票率の低さは大問題ではあるが)。
だが、このところの内閣支持率には信頼を置いていいのではないか。指導者の資質を見極める国民の目はそれほど曇ってはいない。
2022年7月10日投開票の第26回参議院選挙は岸田文雄総裁率いる自民党の圧勝で終わった。
メディアによれば、その後は「黄金の3年間」が続くという。政府与党にとっては衆議院解散がない限り、国政選挙のない3年間となるからだ。
思い定めた政策に打ち込める意味での「黄金」である(国民の審判を仰がない3年間に「黄金」なる形容詞を冠していいかは疑問だが)。
この3年間の意味をもう少し敷衍して捉えられないか。私はそう考えている。
私たち日本人はどんな指導者を選ぶべきか。より根源的で重要度の高い問題を突き詰めて考える。
そうした作業をこの3年間で全うできれば、まさに「黄金」の名にふさわしい日々となるだろう。
日本だけではない。米国はもちろん、中国、ロシア、欧州諸国など、世界各国がそれぞれに苦境に立つ中、私たち主権者の選んだ国会は岸田氏を首班指名した。
岸田首相は「聞く力」を看板にしている。では、「話す力」はどうなのか。
歴史を紐解いてみれば明らかな通り、20世紀は「独裁者の時代」だった。主張の内容はともかく、「話す力」のあるトップリーダーが各地で君臨した。ヒトラーやスターリン、毛沢東など枚挙にいとまのないほどだ。
そうした歴史への反動から「聞く力」を持つ指導者が求められ、岸田内閣が誕生した──善意に解釈すれば、そんな説明も可能だろう。
2020年8月、突如として退陣となった安倍晋三内閣。
安倍首相は戦後の歴代首相の中でも珍しく「話す力」のある人物だった。
世界史上でも特筆されるであろう危機的な局面で「聞く力」を美点とする御仁を首相と仰いでよかったのか。
この点は3年の歳月をかけてじっくり検討する必要がありそうだ。
もっとも、トップリーダーが自ら信じる政策を自由に打てる状況に我が国はない。
これまでにも繰り返し述べてきた通り、日本は米国の保護領に過ぎないからだ。
アジア太平洋戦争において日本は完膚なきまでに敗れた。
欧米列強が植民地政策で覇を競い、手を握る。
そんな国際情勢の中、世界支配の構図をわかっていないぽっと出の新興国が失敗したわけだ。
その後、「一億総懺悔」を経て、今のこの国がある。
だが、私は戦後の日本を全否定しているわけではない。私たちは「歴史」を完璧に失わなかった。
この点だけはつくづく幸運だったのではないか。
現在の日本は米国の植民地政策に完全に組み込まれて存在している。
保護領とはつまり、そういうことだ。だが、日本には米国が逆立ちしても得られない強みが少なくとも一つはある。
それが皇室、君主制である。
2017年のことだ。ある会合に出席するため、ロンドンを訪れた。さまざまな国々の人々と交歓する貴重な機会だった。
その折、オリエント急行に乗ることができた。「世界で最も豪華」ともいわれる 長距離列車である。
もっとも全行程を体験したわけではない。イスタンブール行きの便にロンドンから乗り込み、数時間後に途中下車。
またロンドンに戻ってきた。
東海道新幹線で例えてみよう。博多行きには乗るものの、実際には東京─熱海間を往復したようなものだ。
エキゾチシズム漂う旅情を満喫しようと、食堂車に足を踏み入れてみた。
さすがに上流貴顕の乗車が多い中でも、ひときわ周囲とは異なる雰囲気を醸し出している人物がいる。
コナン・ドイルが著したシャーロック・ホームズシリーズに登場する19世紀後半の英国紳士がそのまま飛び出してきたような出で立ちである。
ふとした瞬間、その紳士と私の視線が交わった。彼の目に好奇の光が宿る。 「おお、東洋人だ!」とでも言いたげだ。
思い切って歩を進め、許しを得て彼の前に腰掛けた。
「旅行ですか?」
拙い英語で話しかけてみた。 「休暇で遊びに行く」予想通り、典型的なクイーンズイングリッシュである。
「どちらへ?」
「私は英国に住んでいるわけではない。ガーンジーの者なんだ」
ガーンジー代官管轄区は英国海峡チャンネル諸島に位置する英国王室の直轄領である。
「私たちはエリザベス女王に臣下として仕えているが、『女王陛下』とは呼ばない。『ノルマン公(デューク・オブ・ノルマン)』と呼んでいるんだ」
「私は会合に出席するために日本から来ました。失礼ですが、どういったお仕事をされているんですか?」
「なに、ファイナンシャル(金融業)。お金を預かっているだけですよ」
彼の言葉通り、ガーンジーは英国王室の属領。当時ならエリザベス女王を君主としている。
だが、英国には属さず、内政に関しては英国議会の支配を受けない。
独自の議会と政府を持ち、海外領土や植民地とは異なる高度の自治権を持っている。
彼のいう「金融」にも特別な意味があった。つまりは「タックス・ヘイヴン」なのだ。
世界中どの国の企業であろうと、彼の地に本社を置けば、税率を自由に選べる。0から最大30%までの幅があるという。
紳士は滔々と説明してくれたが、金融の知識に疎い私にはとてもついていけなかった。
極めて味わい深い話ではないか。
私は世界有数の観光列車の中で王室、君主制のあり方を考えさせられた。
外交や安全保障を除き、ガーンジーは英国の法制度から完全に独立している。
税制に関してはまさに「天国」なのだろう。タックス・ヘイヴンとしては新興の地域に比べると、歴史と伝統が違う。
スイス銀行並みの信用があり、随分と活用されているようだ。
資金洗浄の温床になりかねないなど、確かに得体の知れない部分もある。
だが、階級社会で知られる英国の特権的な階層は密かにガーンジーに資産を預けている。
そうする限り、英国政府に捕捉されることはないからだ。
ガーンジーを利用する顧客はサロンのようなつながりを形成。国際的なネットワークを通じた交流もある。
ロシアのウクライナ侵攻により状況は変化したものの、グローバリズムやグローバリストをめぐる議論が盛んである。
ガーンジーで金融業に従事する紳士などはまさに本家本元のグローバリストだろう。
正真正銘の植民地政策に当たっていた人たちの子孫だ。
国家の支配に束縛されぬよう王室所有の領域内に避難しつつも、英国のエリートたちは国際的に活動している。
ここでいうエリートとは経済的な資本はもちろん、社会的・文化的資本にも恵まれた層のことだ。
しかも、ガーンジー 世にいう陰謀論とは全く無縁だ。あらゆる情報は公開されており、秘密は何らない。
1871年、欧米に派遣された岩倉使節団。不平等条約を改正するために列強に学ぼうとした維新政府のプロジェクトだ。
条約改正のためにはどうすればいいか。英仏に代表される大半の国々は「法律を整備することだ」と回答した。
唯一、違った答えを示した指導者がいる。プロシアのビスマルクだ。
「法律なんて表面的なものに過ぎない。現実の問題は大砲で解決する。自国の軍備を整えることが大事だ」
使節団はこの見識に感激した。身も蓋もない議論ではあるが、国際政治における一面の真理を突いている。
新興国プロシアは英国王室に代表される欧州の伝統・文化とは一線を画す側にいた。
だからこそ、使節団に本音を吐けたのだろう。
岩倉具視が直面していた課題は古くて新しい。
日米地位協定とTPPが現にある以上、我が国はいまだに治外法権を認め、関税自主権を持たないも同然だ。
一方で英国王室は属領のタックス・ヘイヴンで存在感を示している。
表面的な動きだけを追っていては、国際社会における真の主導権争いの様相は見えてこない。
GAFAに象徴されるテック企業は確かに新たな富を生み出した。だが、本来のグローバリズムを牽引してきた老獪な勢力はそうした動きさえ手なずけ、呑み込んでしまう。
西欧には植民地支配の長い伝統がある。独自の知恵や哲学を持たない限り、対処するのは容易ではない。
それに比べれば、米国はまだまだ新参者だ。最先端の才能や技術に転がされ、属国に甘んじているのはどうなのか。
人間の本質は徳にある。
最先端は確かに素晴らしいが、あまりに底が浅くはないだろうか。
才能や技術はあくまで枝葉末節に過ぎない。
マーケティング発祥の国・米国はその二つを過剰に評価することで覇権をほしいままにしてきた。
ガーンジーは英国王室の徳が温存されている一つの場である。
植民地を、世界を支配する深い知恵が隠されている。
オリエント急行の食堂車で私が出会った紳士は人間の全ての業を乗り越えたかのような深みをたたえていた。
彼らの徳性はたやすく理解されることを拒んでくる。右から左に解った気になどなってはいけない。
ガーンジーの紳士は英国人相手なら口にはしないような領域についても打ち解けて話をしてくれた。
恐らくはエトランゼが相手だからだろう。
日本と欧州の関係は明治維新期からいまだに変わっていない。
ビスマルクの教えを今一度深く噛みしめる必要がある。
国家は敗戦によっては滅びない。魂を失ったときに初めて滅びるのだ。
英国がまだしも日本を気にかけてくれているように見えるのは、皇室の伝統があるからだろう。
「聞く力」はなるほど結構。だが、相変わらず諜報活動や情報分析を軽視している国を他国が本気で相手にするだろうか。誰に何を聞くべきか。本気で考える必要がある。英国は一貫してその分野では超一流である。
日本が大切にすべき力とは何か。そのためにはどんな指導者が望ましいのか。
腰を落ち着けて考える3年間にしたい。
「黄金」となるかどうかは私たちの徳性にかかっている。
Photo “Guernsey from the air” ©Bob Embleton 2010. Licenced under the CC BY-SA 2.0.